人は病むとどうなるのか

あんなに続きを含んだ文章を投稿しておきながら、
前回の投稿からまたしても3000年の時が経過してしまい申し訳ありません。

 

 limeline.hatenablog.com

 

前回の大まかなあらすじです。

1. バス会社で働いてたよ!
2. 古臭い会社だから人材不足でやばいよ!
3. いやになったからやめるよ!

というような形で、じゃあ具体的にどういうところがやばいのかとか
そういう退職エントリを展開していこうと思ったのですが、
ちょっと纏めるのが大変なので放置しているのが現状です。

そこで今回は、そこに至るまでの会社の内情よりも先に、
自分の内面の話をしていきたいと思います。

 

どうして病んだのか

まずタイトルの通り、僕は会社が嫌になって病みました。
それも1年*1
この空白期間に至るまで仕事は激務の毎日、というより非効率の毎日でした。

私の仕事は、バスの営業所でバスの運賃箱に入ったお金を計算する会計の仕事、バスの運行スケジュールを決める運行の仕事、普通の電話応対や定期券の販売といった仕事など、そこそこ幅のある内容でした。

特に鬼門だったのはバスの運行スケジュールを決める仕事です。
いわばシフトを組んでいるのですが、普通の飲食店のシフトとは訳が違って、バスの運転士は命を預かる仕事でもあるため、国の法律に基づいて労務管理しています。
すなわちルールが非常に厳しく*2、一筋縄ではいかないものでして、
毎日150人分、常時数人は欠員がいて、誰かが風邪を引いたりするとシフトは作り直し。
それを否が応でも365日やり続けなければなりません。
組み上げるのに朝出勤して、時には日が変わる直前までかかる仕事は誰にも褒められず、やり遂げた後にはまた同じことを繰り返すだけ…

無地の300ピースのパズルを解くんですが、途中でそのピースを誰かが食べたり、完成してもひっくり返されて「もう一回やって」と言われている気分でした。

 

それに加えて、職場にはパワハラ上司が居たのも病む要因の一つでした。
その上司は、ご機嫌で態度ややり方が変わる幼稚園児のような大人で、しょっちゅう火種が飛んできました。嫌がらせみたいなのも多かったです。
また、缶コーヒーとタバコを浴びるように摂取するので、常にウンコの臭いがしていました。生理的にも無理でした。

最もそれもそのはず、彼は以前ほかの部署でパワハラを起こして異動してきた人物。
そう簡単にパワハラが抑えられる訳でもなく、気づけば僕を含めて今の部署だけで8人の部下が辞めていました。
最も彼が原因ではないものも多くありましたが、いずれにせよ職場環境や社内風土は、至極底辺な会社です。

 

こんな会社で、こんな仕事をやり続けているとだんだん精神的に壊れていきます。
が、この会社では「殺気を立ててこそ一人前」「イライラしてるのはちゃんとやってる証拠」みたいなびっくり根性論が成り立っていたので、不思議と自分は浮いた存在にはなりませんでした。

 

人は病むとどうなるのか

病むというと一気にドーーンと来る感じがありますが、
私の場合は軽いものが重なってじわじわ苦しくなっていったような感じでした。

例えば、物忘れ。
僕はもともと物忘れの激しい方だと思っていて、小学生の頃から今の今まで「これだけは絶対持ってきてね」というものをまあまあな確率で忘れてきました。
会社でも締切のあるものや、必要不可欠なものを忘れることがちょこちょこあったのですが、だんだんそれが増えていきました。

・「このバスどこにいるか見といてね」と言われて1分後に忘れる

・今来た電話を上司に転送しようとして、誰からの電話か分からなくなる

・自分が置いた資料の場所が分からなくなるどころか、自分で置いたことさえ忘れる(そして自分で「誰が隠したんだ」と怒りながら探す)

等々、今書きだすとなかなか病的だと思いますが、
こういう物忘れがいつのまにか平然と起きるようになっていました。

 

自分では一生懸命でも異常に非効率になった僕はまさに”無能”そのもので、いつまで経っても仕事が回らないこと僕を、他の人は煙たく、そして自分でも嫌気がさしていました。

何かで叱責されても「まあ、俺が悪いもんな」と思いました。
そのミスは僕が回らない頭で作り出したものでしたから、たとえ心理的に他人に罪を擦り付けようにも難しいものがありました。

そんな憂鬱でストレスフルな仕事を終えて家に着くと、泥のように眠り、夢の中で仕事をして怒られていました。
起きても何もやる気は起きず、ふと気を許すと、怒られている自分やミスを犯した自分がひたすらにフラッシュバックします。

カーテンの閉まった暗い部屋で、ただ布団の中で悶えている―
末期はそうした休日を過ごしていました。

 

ある日、仕事で引継ぎを書いておこうとメモを取る機会がありました。
××課の××さんより今日言われたのですが、先日のこの○○日の、□□ということの…
文章が何故だか書けません。
10分くらいかけて、時制も文体も無茶苦茶の引継ぎ文書を必死に書きました。

ようやく自分に異変が起こっていることを察知しましたが、疲れているだけかも?と思い、試してもこのブログを書いてみようと考えました。
自分の旅行記、好きなものの話、ネット弁慶イキリトーク…
ネタはいくらでもありますが…

結果から言うと、何も書けませんでした。
1行で文章は終わりました。
僕はここで「おかしくなっている」ことをようやく悟りました。

 

そしてまたある日、長い仕事を終えて帰路につきました。
営業所は不便な場所にあったため、僕は車で通勤していたのですが、この日はもう夜遅く。
一刻も早く帰りたい気持ち、そして仕事から解放される喜びからウキウキしながら車で乗りこみます。

メインストリートで信号待ちからアクセルを少し踏んで発進。
2Lターボ、220psのエンジンを回し、あっという間に法定速度へ。
ところが、そこで本来弛めるはずの足が、何故かアクセルから離れません。

僕の車はスピードメーターに280km/hまで刻んであります。
流石にイキってドイツ車を買っただけあり、いくらでもスピードが出せます。
「待ってたよ、相棒」と言わんばかりに獰猛なエンジンが呼応し、どんどん加速していきました。

僕は「このまま死んでもいいかもしれないな」と本気で思いながら、アクセルを踏み続けていました。
口では言えないような速度を出して、初めて気づきました。

「今、死のうとしてたな」と。

 

いよいよ、本格的に仕事を辞めるべきだと思いました。
実際嫌気がさして半年くらい前から辞めたい一心でしたが、いざ「辞めます!」というのはすごく勇気が要ります。
なぜなら自分のせいで会社の人に迷惑をかけるから*3

その想いが積もりに積もっていたある休みの日、例のパワハラ上司からLINEが飛んできました。
「休みの日程をAさんには言うのに、俺には言わないんですね。よくわかりました」

はい、じゃあもうやめます。
散々人材がたりなくなって苦しめや、無能マッチポンプ、うんこ。
そうしてようやく仕事を辞める決心がついたとき、庶務を管理している上司から引き止められます。まだ早いと。

そこではじめて「休職」という選択肢が出ました。
休職すれば、いざ何かあっても復職できるし、傷病手当も出るし、なんなら辞められもするし、いいことづくめです。
最も、とても浅はかな考えでしたが…

 

休職するとどうなるのか

まず最初に申し上げておきますが、休職はお勧めしません。
というのもめんどくさいことが実に多く、リスキーで、次のステップに進みにくくなるからです。
それでも休職するのであれば、まず心療内科や精神科に行って診断書をもらうところから始まります。

そもそも心のケアをする病院について、僕は期待を抱いていました。
ゆったりとした病院の中で、先生がじっくりと話を聞いてくれて、自分を的確に導いてくれて、心がさわやかになって…と思っていました。

ところが現実の心療内科は激混みです。
予約してるのに1時間待たされるのはザラです。
散々待ったあと先生と話すのですが、先生は聖徳太子でもキリストでもなんでもなくただの人間ですから、特に何かを導いてはくれません。

診察室に入った僕は、先生にこれまでの症状や経緯などを話すのですが、
もう仕事がホントストレスなんです、なんか、もう…うーん、嫌です…
といった感じで曖昧な風にしか語れません。
ストレスが過大になると、具体的に何が辛いとか、何が嫌とかが分からなくなります。
そうしてアウトプットが上手くいかなくなると、俄然先生も何で悩んでいるのかわかりませんから、相談してる方としては何も解決しないしスッキリしません。
結果的に僕の中での精神科は、ただ診断書を出してもらうための機関と化していました。

その診断書ですが、具体的に「いつまで休養を要する」と休養期間を示す形式がほとんどです。
ただしそのさじ加減や、そもそも診断書を出すかどうかも先生次第なところがあり、とりあえず休みたいと思っている人でも、下手すると病院行脚をする羽目になります。
先生との相性は悪かったのですが、僕はゴリ押しで診断書を勝ち取りました。

診断書が出たら会社に提出するのですが、
それ以外にも、所属する健康保険に「傷病手当金」を申請する必要があります。
それがないと休職とは認められない会社が多いかと思います。

この傷病手当金の申請、実にめんどくさいです。
まずこの書類を会社から受取り、病院に提出し、先生に書いてもらって、その書類をまた会社に出して、ようやく申請が通ります。
先生に書いてもらうだけで2~3週間を要する病院だったので、結果的に申請までに1か月くらいの期日がかかりました。
さらに傷病手当金支給は会社にも依りますが、僕の場合15日締め、翌月末支給だったため、支給期間にブランクがあり資金繰りに難儀な部分があります。
こうしたことを精神的に憔悴しきった段階で、しかも会社が嫌いなのにやるというのは、若干しんどい部分があります。

僕の場合は、たまたま休職を決める前後に庶務担当の上司が異動してしまい、
義理や情もないクリーンな気持ちで新しい上司に申告出来たのが幸いでした*4

 

さて、ようやく手続きを経て休職期間に入った僕は、まず実家に帰りました。

仕事がないのってこんなにストレスがないんだ!と思いつつも、日々激務が続いていたので、とりあえず休むことを前提にやりたいことをやってみることにしました。

例えば、ちょっと旅行に行ってみる、遠くまでドライブしてみる、高かったアレを買ってみる……

毎日が休日だとストレスはありません。が、収入もありません。
傷病手当金こそ貰えますが、その金額は暮らしのお金に全て消え、娯楽を得るには貯金を切り崩す以外に方法がありません。
それを恐れて、僕はなるべく余計なことにお金を使わないよう方針を切り替えました。

しかしそれでも、いつしか貯金が尽きます。そのときにやることは
・1日中Youtubeを見る
・1日中寝る
の2種類です。
家を出ないとストレスがたまるので外に出るのですが、
出てやることはないしお金もないので、結果的に散歩しておしまいです。

もしくは、わずかなお金を使って買い物を楽しみます。
セールの時間帯を狙って、安いご飯、よく分からない日用雑貨などを買うのですが、これがすっごい気持ちいい。
年金暮らしの年寄りがやたらスーパーに行って、滅茶苦茶モノを買うのはそういうことだったんだと思いました。

ただし家計に余裕がなくなってくると、その危機感から一気買いが増えはじめました。
しかも休職中は掃除くらいしかやることがないので、やたらめったら掃除グッズを買ったり収納用具を買ったりと余分なものの購入が増え、結果的に金欠が加速します。

このお金がない・収入がないことへの焦りは、精神にも影響を及ぼしてきました。
例えば、如何に生き抜くかばかりを考えているので、視野が狭くなります。
「余計に使いそうだから」と、ATMから小出しにおろしてみたり、
「セールだからこのタイミングで買わなきゃ」と思って、また不要なものを買ってしまうことがしばしばありました。

そして心理的にもピリピリしてきます。
不愉快な事象は特段目につきますし、「お金を与えられない」という被害者的思考が強くなって、だんだん内向的な性格になっていきます。
ネガティブなツイートが増え、日々社会と自分に不安・不満を覚えるため、
次のステップを踏むのにも足枷となるのです。

 

さらに、休職中の生活は自分の生活リズムを壊します。
明日のことなんて考えなくていいんで、好きな時間に寝て好きな時間に飯を食うし、
自分の時間軸にあった生活をしていいので、恐ろしく非効率でスローな行動が増えました。
そしてめんどくさいことはしたくないので、だんだん出かけなくなります。
要は引きこもりに近づいていくのです。

なかには羨ましい、と思った方もいるかもしれません。
ですが、仕事をしないというのは、世の中の人たちと隔離された時間軸に居るわけで、誰かと話したり、達成感を得たりといった刺激からも隔離されてしまいます。
そして世間体もよくないです。仕事をしていないと日本では白い目で見られますし、仕事の愚痴といった、よくある共通話題さえなくなってしまう。

僕は仕事なんか大嫌いですが、普段の生活のなかで如何に「”仕事に就いている"というステータス」が社会性のウエイトを占めているか、この身をもって感じることとなりました。
こうして、僕の中で「仕事をしていない=社会から逃げ出した存在」というレッテルが日々巨大化していったのです。

 

どうやって復職するのか

先ほどから幾度となく言っている「次のステップに進めなくなる」というのは、
すなわち復職し、社会的に復帰しづらくなるという意味です。
お金がなく、社会的ステータスもなく、精神的にも追い詰められ内向的になる中で、
一体自分の何がアドバンテージなのか。私はここに悩み続け、躓き続けました。

そもそも休職した段階で、自分のなかであらゆる選択肢が表れます。
元の会社に復帰するか、転職するか、不労所得を得られるように頑張るか、Youtuberを目指すか…
考え始めるとどれも可能性があって、どれもリスクがあります。

復職を選んだ場合、変な努力をしなくていいので心労こそ少ないですが、ブラック企業に再び戻るのにはリスクを感じます。
転職を選んだ場合、もしかしたらホワイトな理想の環境下で働けるかもしれませんが、また自己分析をしたり、ましてや休職という汚点を見られる可能性があります。
不労所得やYoutuberを目指す場合、楽かもしれませんが安定性は全くありません。
個人的には、知見が狭い中でこうした職業を選ぶのは特にリスキーだと思いました。

私は、長い時間をかけて転職を選びました。
といっても最初から転職こそ狙っていたのですが、業種や職種を決めて、自己分析をして、面接をして…というのは新卒以来。
新卒のときもそうだったのですが僕は就活が非常に苦手で、自己肯定感の低さからか、志望動機や自己PR文を作り上げるのにえらく時間のかかる人間でした。
その就活を、色んなウィークポイントを感じている自分がやるのですから、ますます時間がかかったのです。

加えて、休職しているということは「こいつは今後また病む可能性がある」と捉えられます。
転職先を見つけずに退職したのとは違って、休職はほぼ100%病んでるので、
前の会社がブラックで…という”逃げ"の人間性を見せなければなりません。
仮に言わなくても、転職の際に必ず提出する源泉徴収票でだいたいバレます。
極端に収入が減っているからです*5

 

そんなこんなありながらほぼ1年かけて、僕は鉄道会社に転職しました。
動画制作会社とかよく分かんない事務の会社とかも受けましたが、やはりどれも自己PRや面接が上手くいかず、唯一うまくいったのがこの業種でした。

その理由として、まず自分の興味のある分野であったからです。
逆に興味がないことに僕は一切モチベーションが湧かないので、精神的に凹んだ状態でなんか何も出来なかったのです。
あとは、もともと大学時代に他社で同じ仕事のアルバイトをしていたこと。
ブランクこそあれど仕事内容に不安要素は少なく、これも大きな救いとなりました。
心配だった休職の話も、自分からしないまま居たらいつの間にか終わっていました。

個人的には、完全週休二日制・ホワイトカラー・残業の少ない会社を選びたかったのですが、
今のところ、シフト制・ブルーカラー・残業いっぱいという真逆の会社に居ます。
それでも現時点で不満は少ないです。それだけ肌に合っていたのかもしれません。

…いや、嘘です。もっと金よこせ、週休6日にしろ、残業全部消せ、基本給上げろ

 

転職して環境が変わり、個人的には楽になりました。
ただし、休職時代を引きずっているような、後遺症みたいな症状が残っています。

先ほどリスクの話をしましたが、休職以来やたらリスクを恐れるようになりました。
自己肯定感が低くなったので、自分が非難されることや、上手くいかないことを極端に怖がるようになってしまったのです。
お金に関しても同様で、貯金がなくなるリスクを恐れるようになりました。
もともと金欠だったのもあって、最近大きな買い物はほとんどしていません。
趣味だった旅行も、お金のことばかりが頭を巡ってしまい、なかなか実行に移せません。

そう思うと、長期間の休職というのはそもそも選択肢として危険です。
「休職しない方がいい」と述べたのは、結局こうした精神的なコンプレックスを後々まで背負ってしまうからです。

 

 

それでも休職したい貴方はどうすればいいのか

しかしながら、病み続けることも危険です。
ですから、これから休職をしようと思っている人に向けて何点かアドバイスを送ります。

 

①休職するときはHPを10くらい残しておけ

これは先述の通りです。
瀕死状態で休職するとなると、事務手続きを含めてめんどくさいことが沢山あり、下手すると休職さえもめんどくさくなる可能性があります。
体力を少し残しておくことで、ぐっと休職に入りやすくなります。
それに、以下のことも実行しやすくなります。

 

②休職したら金のこととか一切考えず、必ず絶対何としても海外旅行を予約しろ

これはもう一番大事です。
何故なら休職したら何もしなくてよいので、何もしなくなるからです。
気づいたころに旅行しようと思っても金なんかないですし、
海外旅行は危ないんじゃ?リスクが?みたいに考えて予約なんかできなくなります。

旅行は価値観を変えたり、自分を見つめなおすのに最も大事です。
まして海外旅行なんて普通に働いているうちはなかなか行けません。
(あれ?なんで俺の周りの社会人は軽率に海外行ってるんだ?)

最も最近の社会情勢ではさすがに難しそうですが、
何かとてつもなく高いモノ買うとか、とにかく普段は出来ない支出をする、
そうすれば心のもやもやを溜め込めずに済みます。

 

③悲しいニュースなんか見ずに可愛い動物のYoutube見ろ

日々、悲しい出来事や暗い出来事がたくさん報道されています。
そういうのを見るとナイーブになって、そのまま1日が終了します。

その点動物のYoutubeはすごいです。一切頭を使わずに「かわいい」で終わります。
まあ動物じゃなくてもいいんですが、とにかく笑いとか幸せにベクトルを向け続けるよう意識してください。自ずと気持ちが前向きになります。

因みに僕は極めつくして、行ったこともない水族館のすべての動画を見ました。
今では動画を見るだけで、その動物の固有名詞レベルまで分かるようになりました。

 

④休職している自分にレッテル張りするな

先ほども言ったように、僕はこれに縛られて息苦しい生活を送っていました。

自分は社会から逃げた人間だ、と考えるのは根本的に間違っています。
休職者は、リスクを取って社会を俯瞰する選択肢を選ぶことができた人間です。
私自身、1年間休職して、色んな立場の人の気持ちが分かるようになりました。
この経験は決して負の遺産ではないと思っています。

そして「仕事」というしがらみを抜けて、まずは自分の生活を楽しむ。
社畜じゃなかったあの頃の記憶を、今、取り戻しにいきましょう。

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元々は退職エントリを書きたかったのですが、
今回は会社から一旦離れて、主観的な立場から書かせて頂きました。
辛い一年で、自分としてもあまり語りたい過去ではなかったのですが、
見ている誰かの役に立てばと思い公開した次第です。

ブラックバス会社の話はまた追々にでも…

*1:厳密には2~3か月で立ち直りましたが、復帰までの道のりが結構長かったです

*2:例えば、一日16時間までしか拘束してはいけない、勤務と勤務の間は8時間空ける等

*3:今分かることですが、それは迷惑でもなんでもありません。1人抜けたくらいでバックアップ出来ない会社が全て悪いんです

*4:その後、この上司とは幾度となく話すのですが、お互いの趣味が合致してしまい、僕を会社に引き止めようとするつもりが延々とクルマの話をし続ける関係になりました

*5:ちなみに僕が転職した年の源泉徴収は13万円でした